顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

風隼神社(城里町)…勇猛な武甕槌命の神話

地方に残る神社の由来は、森羅万象に神が宿ると信じた古代の人々が山や岩、木などを崇拝し、そこに神話の世界の天地創造の神々を結び付けた例が多く見られます。

杉の大木に囲まれた参道が見事な、この風隼(かざはや)神社の由来も……、石名坂(日立市)に跋扈する悪神香香背男(かかしお)が高天原の神々に従わないために征伐に向かった、鹿島の神(武甕槌命)と香取の神(経津主命)も相手の力が強大で退却せざるを得ませんでした。

そこで武甕槌命は、建葉槌命と石船大神を差し向けやっと香香背男を討伐できました。巨石に化けていた香香背男は砕け散り、各地に飛んでいった石の一部がこの地に落ちて地名(石塚)の由来になり、またこの神社のご神体石となったと伝わります。(その石についての記述はどこにもありませんが。)

ご祭神はこの悪神退治の指揮官だった武甕槌命(たけみかづきのみこと)、最強の武神として知られ鹿島神宮の主神です。

この地の領主の佐竹氏から、石塚城の鬼門除けに位置していたので厚い崇敬を受けて、永禄12年(1569)には一族の石塚義国が社殿を修営し、軍配団扇を奉納しています。

天正18年(1590)には豊臣秀吉から除地を奉納され、水戸藩の代々藩主からも崇敬され、やはり除地を与えられています。※除地とは、幕府、藩などの領主から租税を免除された土地

天正年代(1573~1592)に火災により資料、文書一切を失ってしまったそうです。

神社の狛犬の後ろに「きっと治るよ」という紙が…、なんかそんな気になりますね。

参道脇の窪地に「弁天池」と赤い小さな祠がありました。

明治44年(1911)まで風華神社と称していたそうです。石塚台地の北縁に立地したので、北風が強く吹き当たることが風隼の由来としている説もありますが、華ではどうなのでしょうか?

 

なお、全国に風隼神社はここだけ、千葉県松戸市に風早神社(かざはやじんじゃ)がありますが、千葉常胤の孫、風早四郎胤康が風早郷を治め香取神社経津主命を勧請したことが始まりとされており、こことの関係はないようです。

 

北へ約5キロくらいにある石船神社は、「延喜式神明帳」にも載っている由緒のある神社で本殿はなく瑞垣の中にはご神体の巨岩が…、この神社との関係がありそうでしたが、祭神は「鳥石楠船命」、武甕槌命東征に従った海運の神ということしかわかりませんでした。

なお、香香背男が岩となり砕け散って飛んだ場所は、風隼神社の他に石井神社、星宮神社(笠間市)、石神社(東海村)、手子后神社(城里町)などが伝えられています。

 

3年前の今頃訪れた石船神社ではツリフネソウ(釣舟草)が咲いていて、神社の雰囲気にぴったりだったのを思い出しました。