身近な式内社を訪ねて…常陸太田市白羽町にある天之志良波(あまのしらは)神社です。

「式内社」は「延喜式内社」ともいい、平安時代中期に編纂された律令の施行細則「延喜式」の中に、当時の官社として神名帳に載っている神社のことです。全国で3132座(祭神の数)、2861社(神社の数)、常陸国では大社7座7社(いずれも名神大社)、小社21座20社の計28座27社が記載されており、それらは約1200年前に実在した由緒正しい、格の高い神社ということになります。

この「延喜式」は、平安時代後期に書写された現存最古の写本が残存しており、摂関家の九条家に伝わった「九条家本」などが国宝に指定されています。
※写真は、国立公文書館の公開データ「延期式写本の巻第九」の表紙と最初のページです

なお、国立公文書館所蔵の「延喜式」写本は、徳川家康が五山の僧に命じて写させたいわゆる紅葉山文庫旧蔵で、古い写本(九条家本など)に基づいた精密な写本として知られています。
※写真は、国立公文書館の公開データ「延期式写本の巻第九」の天志良波神社掲載のページです

創建の年代は不詳ですが、一説には延暦14年(795)坂上田村麻呂が東征の時、途中この地に留まった折り、夢想の告を蒙り(夢で神のお告げを受け)、白羽の矢一双を賜ったので社を建てて祀ったという伝説もあるようです

天文13年(1544)当地の領主佐竹義篤公が社殿を修営して遷宮式あり。元禄中には水戸藩二代藩主徳川光圀公の神仏分離政策により大聖院の社務をやめ神職の奉仕とす。享保12年(1727)水戸藩4代藩主徳川宗堯公が社殿の修営あり、神宝を献じる。天保15年(1844)水戸藩9代藩主徳川斎昭公の命により白羽、田渡、西宮、三才、小沢五ヶ村の鎮守となる…と伝わっています。

祭神は天白羽命(あめのしろはのみこと)、合祀は天之志良波神、長白羽神(ながしらはのかみ)です。衣服や織物、麻の神で、白羽とは衣服の古語といわれます。

ここから南西約12キロのある常陸二宮の静神社も同じ織物の神様の社であり、南方4キロ先にある同じ式内社の長幡部神社も織物の神様なので、この地方で養蚕や機織りが盛んであったことが推察されます。

拝殿の扁額は紀元2600年(1940)記念、勲二等田子一民敬書と記されています。衆議院議長も務めた岩手県出身の有名な政治家です。常陸太田駅前付近にはかって田子という地名や氏族が存在したので、この田子氏と何か関係があったのでしょうか。


水戸徳川家の歴代藩主の崇拝も厚く、本殿屋根の大鬼には葵紋が付いていました。


めだたない場所でしたが、玉垣に囲まれた本殿の龍と鳳凰の彫刻が目を惹きました。江戸時代以降宮大工による雨乞いや平穏の象徴として精緻な彫刻が流行ったそうです。

本殿裏の崖には、長い年月積み重なった縞模様の地層が露出していました。


境内社は天照皇大神宮、白山神社、厳島神社など…10社が山中に祀られています。

静謐な境内に咲くシャガの白さがとくに印象に残りました。