顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

那珂湊の七ヵ寺…光圀公が一ヵ所にまとめた寺院群

ひたちなか市那珂湊地区の館山に、浄土真宗寺院が七つまとまった、通称「館山七カ寺」があります。寛文3年(1663)水戸藩2代藩主徳川光圀公が領内の寺社改革に乗り出し、寺社の破却、移転などを断行した際ここに集められました。七ヵ寺の中で一つだけ広い…

水戸城址の紅葉…土塁と堀だけの城ですが

水戸城三の丸の西側に残る堀跡には、大きなイチョウの木が黄葉を見せています。水戸城は、南の千波湖と北の那珂川に挟まれた河岸段丘の上にある連郭式平山城です。現在も土塁や空堀の遺構が残り、街中での紅葉を楽しませてくれます。この土塁には上部の堀側…

偕楽園公園の紅葉…いろんな色の競演

偕楽園公園の「桜山」は名前の通り桜の山です。桜紅葉(さくらもみじ)という季語があるほど、他の木に先駈けて変化に富んだ色を見せてくれます。残念ながら撮影時には散ってしまったので、暇な仙人が落ち葉を並べてみました。偕楽園公園とは、偕楽園と取り…

鎌倉殿の13人…八田知家の小田城(つくば市)

NHK大河ドラマで市原隼人が演じる北関東の御家人八田知家は、胸をはだけた野性的な姿でお茶の間を賑わしましたが、11月6日放映時に「隠居しようと思っている」と述べて、出演の終わりを示唆していました。この八田知家は、生没年も不詳の謎につつまれ…

会津藩校「日新館」…「ならぬことはならぬ」の教え

会津藩の藩校日新館は、寛政10年(1798)に家老田中玄宰の進言で計画され、享和3年(1803)会津藩の御用商人須田新九郎の出資により鶴ヶ城に隣接した地に完成しました。藩士の子弟だけの教育機関で10歳から入学した生徒数は約1000~1300人もいたといわ…

偕楽園公園の秋…残る自然を探しながら

日本三名園の偕楽園は12,7ha、その周りを囲む緑地帯をひっくるめると、なんと300ha…これが偕楽園公園です。都市公園としてはニューヨークのセントラルパーク(340ha)に次いで、世界第2位の面積ということを水戸市ではさかんに発信しています。…